日本の国連でSDGs担当の広報官になる

2016年、SDGsが開始されたその年に、私は国連開発計画(UNDP)駐日代表事務所の広報官として国連に戻ってきました。2007年のスーダン事務所、2010年のニューヨーク本部に続き、3度目の国連勤務になりました。

オフィスは表参道にある国連大学ビルの8階。国連大学は国連機関の中で日本に本部を置く唯一の機関であり、ここには世界中の国連大学本部スタッフに加えて、主要な国連機関の駐日代表事務所が入っています。

広報官(Public Affairs Specialist)とは、企業でいう広報課長で、日本におけるUNDPと国連の広報活動を主導する役割です。国連広報センターやUNICEFなど日本にある他の国連機関にも広報官がおり、定期的に集まって国連全体の広報の連絡調整を行っていました。

駐日代表事務所の広報・渉外関係のスタッフは正規の国連職員2名、コンサルタント2名がおり、インターンなどの支援スタッフを含めて6、7名程度のユニットを率いることになりました。

ちなみに、Public Affairs Associateというタイトルの広報スタッフがおり、日本語で「広報官」と訳されていたため、私には「副代表補(渉外・広報)」または「上席渉外広報官」という日本語の肩書があてがわれました。

ここでテレビ、新聞、ラジオ、雑誌などのメディア・広告会社、経団連や経済同友会を始めとした民間団体・個別の民間企業、大学などの教育機関、市民社会など国内の全方位への広報と渉外活動をとりまとめ、実行していました。

加えて、駐日代表事務所は国連プロパーのインターナショナル・スタッフ(国連職員の中で組織の幹部及び基幹となる位置づけの職員)が駐日代表と私の2人しかいなかったため、政府との関係構築への協力も主体的に関わることが求められました。また、本部のイニシアチブを日本で広げる活動の展開なども受けていました。

そんな多岐に渡るタスクの中、仕事の中心を占めた最大の渉外・広報テーマが、前年に合意された「SDGs」でした。

まず動き出したのは政府、しかし、、、

当時まだ誰も知らないSDGsをどうやって日本社会に知らしめるか、まずこれについて着手したのは政府のトップダウンでした。

2016年の年度が始まった4月から、総理官邸と外務省の主導により、2016年5月に総理大臣を本部長、官房長官、外務大臣を副本部長とし、全大臣を構成員とする「SDGs推進本部」が設置されました。

政治家である大臣だけだと掛け声倒れに終わる可能性があるためか、SDGs推進本部は「幹部会」を設置し、全省庁から政策の実働を担う局長、審議官、次長クラスの幹部官僚が集められました。

加えて、行政に限定されない国内の幅広いアクターとの協働戦略を立案・実行していくため、行政,民間セクター、NGO・NPO、有識者、国際機関、各種団体等を含む幅広い関係者によって構成される「SDGs推進円卓会議」が設置されました。

同会議での議論を経て、同年12月の第2回SDGs推進本部会合において日本のSDGsの取り組みの大方針である最初の「SDGs実施指針」が策定されました。

SDGs推進円卓会議には、経団連の企業行動憲章へのSDGs導入を主導した二宮企業行動・CSR委員長(損害保険ジャパン日本興亜株式会社会長)や、ESG投資のブームを日本で巻き起こした年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の高橋理事長など、各界のSDGsの牽引役が集まっていました。

国連からは、UNDP、国連広報センター、国連大学、GCNJの各代表者がメンバーになっていました。

そんなことで、駐日代表とともに何度か出席したのですが、最初に目にした風景は、「政府版SDGsウォッシュ」でした。

SDGsウォッシュとはSDGsを使って自身を実態以上に良く見せようとする行為のことで、典型的には企業が既存の組織及び製品・サービスなどを一切変更することなく、ただSDGsロゴを使ってゴールをラベル張りしていく活動を指します。

企業では「やってはいけないSDGs導入策」として有名ですが、まさにこのときほぼ各省庁がやっていました。

「こちらが我が●●省によるSDGsの取り組みです」と言って堂々と渡された資料の内容が、もともと行っている各省の政策にSDGsゴールを割り振っただけで、新規の取り組みがほとんどないものが大半でした。

実際、「あれはないな」と円卓会議の民間側のメンバーのほとんどが思っていたはずですが、政府側から委員に選んでいただいて出ている以上、あまり厳しいことも言いにくい雰囲気もありました。

そのため、穏便に進むのかと思いきや、百戦錬磨の委員からは突っ込んだ批判も含む意見がたくさん飛び出し、とても面白いディスカッションになりました。(どこまで政府側に伝わっていたのかは定かではありませんが。)

UNDPからは、「こういう各省の既存の仕事にSDGsを割り振るようなやり方では、何も新しいものがないし、そもそもジェンダーのように所管省庁がないゴールは見落とされてしまうではないか」といった趣旨の見解を伝えました。

また、文科省は「持続可能な開発のための教育(ESD: Education for Sustainable Development」の推進を打ち出していたので、国連側からは、導入の仕方として、ただ教科書に入れるだけではなく、「学習指導要領に載せるべき」と主張しました。なぜなら、学習指導要領に載らないと受験問題には出せないそうで、それでは先生も生徒も本気で取り組まないだろうと考えたからです。

これがどこまで影響したかは分かりませんが、2016年12月に中央教育審議会の答申でESDは次期学習指導要領改訂の基盤理念と位置付けられました。その後、2017年の幼稚園教育要領、小・中学校学習指導要領、及び2018年の高等学校学習指導要領の改定の際、前文と総則において「持続可能な社会の創り手の育成」が掲げられ、各教科にも内容が盛り込まれました。

文科省だけでなく、総理官邸や外務省が全体的にこうした様々な意見を前向きに進めたこともあり、各省庁及び政府機関のイニシアチブと取り組みはSDGsを日本全体のあらゆる分野に広げるエンジンとなっていきました。

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