政府のSDGs推進の動きを受けて、日本社会におけるその他のアクターも一斉に動き出しました。
首相官邸・内閣官房から全国民へ、経産省・金融庁から企業へ、文科省から幼稚園、小・中学校、高校、大学へ、環境省から環境団体やNGOへ、消費者庁から一般消費者へといったように、全省庁から全方位でSDGsのイニシアチブが打ち出され、潮流が形成されていきました。
国連側から見ても、日本におけるSDGsの普及は上々の滑り出しに見えました。
しかし、発足当初は勢いがあるものの、社会全体に十分に浸透・定着しないまま廃れていく社会課題ブームというのは、ジュビリー2000、LOHAS、He For Sheなど、これまでも数多くありました。
SDGsをそのような一過性のブームに終わらせないためには、最初の勢いと熱量を活かし、スピード感を持って一気に社会全体に浸透させていくことが何よりも重要でした。
SDGsの総花的な広報は国連広報センターが担っていました。国連の最大の実行部隊でありSDGsのスコアキーパーである国連開発計画(UNDP)としては、その政治力と柔軟性を活かして、一般広報との連携と共に、本質的に世の中の流れを作っている最重要アクターを一つ一つ味方に引き入れていくことに注力しました。
メディア
日本全体へのSDGsの浸透を考えた時、やはり頼りになるのは普段から付き合いのあるメディアでした。特に、NHK、日経新聞、朝日新聞が初期的に強いコミットメントを見せてくれました。
メディアブリーフィングによりSDGsの基本的な理解についてレクチャーをおこなった上で、UNDP総裁の来日に合わせて記者会見や単独インタビュー等を行い、戦略的に各メディアのSDGs広報展開を盛り上げていきました。
著名人としては、クローズアップ現代のキャスターとして有名だった国谷裕子さん、アフリカ開発のアイコンとして活躍されているMisiaさん、UNDP親善大使の紺野美沙子さん、UNICEF親善大使の黒柳徹子さん、JICAと関係の強かった歌手の倉木麻衣さんやマラソン選手の高橋尚子さん等が初期のSDGsの盛り上げ役を担ってくれました。
外務省一押しのピコ太郎さんを始めとして、芸人、アイドル、漫画家などの芸能人が続々とSDGsの普及に協力するようになりました。国連広報センターのイニシアチブもあり、その後、ハローキティやトーマスなどのキャラクターによるSDGs広報もすそ野を広げる役目を果たしていきました。
広告代理店として初動が早かったのは日本語版のSDGsロゴの制作にも携わった博報堂で、様々な面でSDGsの広報展開をリードしていました。電通は当時、若手社員の過労死事件によって社会的に大バッシングを受けている時期だったので、一緒にベントなどはやりましたが、あまり積極的に動ける状況にはありませんでした。ADKが電通に代わってJICAのなんときゃしなきゃプロジェクトの推進役になるなど、その他のアクターも続々と参戦してきました。
民間セクター
民間セクターへのアプローチにおいては、経済同友会と経団連との対話が中心となりました。日本の大企業経営者の集まりである経済同友会は、以前からUNDPとは仲が良く、SDGsについても初めから賛意を示してくれていました。
一方で、経団連は従来、国連に対してあまり良い印象を持っていないようでした。過去には日本は国連に多くの拠出金を提供しているにもかかわらず、日本人国連職員の数は少なく、日本の意見も十分に反映していないと批判されたこともあり、国連の高官の来日時に経団連に意見交換の場を申し入れても、断られることもありました。
しかし、経団連が次世代の日本の構想として打ち出した「Society 5.0」とSDGsとの親和性が非常に強かったことや、総理や外相を始めとした政府からの後押しもあり、2016年にUNDP総裁来日の際に経団連との会合が実現しました。
その後、2017年には経団連の憲法にあたる企業行動憲章の中心にSDGsが導入されたことは大きな転機になりました。これにより、日本の上場企業の経営者にとってSDGsは、「知らないと恥ずかしい常識」となりました。個々の日本企業をSDGsへの行動に向かわせるためにトップの意識の変化は極めて強いドライバーになりました。
こうした動きと並行して、個別の民間企業のSDGsトップランナーたちとの協働が始まっていきました。これについては次の記事にて詳しく書いていきます。
金融セクター
日本政府の強力なコミットメントや経団連による企業行動憲章の改定と並んで、SDGsの起爆剤となった出来事として、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による2015年の責任投資原則(PRI)の署名と2017年からのESG投資の開始があります。詳細はこちらの記事を参照ください。
2016年時点でPRIの事務局を訪ねた際には、貸しオフィスに短期契約のスタッフが数名程度で、関心を持つ企業もほとんどなく、寂しい状況でした。しかし、翌年にはESG投資は一大ブームとなり、たった一年で満員御礼状態となり、急激に状況が変化しました。
また、GPIFが「ESGとSDGsは同じもの」という少々勇み足的に打ち出したことにより、ESG投資の浸透はそのままSDGs熱のヒートアップと繋がっていきました。UNDPにも銀行、証券会社、保険会社からの問い合わせが急激に増えました。
また、ESG投資は国連では国連環境計画金融イニシアチブ(UNEP-FI)が担っており、やや遅れたキャッチアップのように見えましたが、日本政府では金融庁だけでなく環境省も加わって、この流れを確実なものへと変えていきました。
教育セクター
SDGsブームの火付け役として、文科省主導による2017年の全国の幼稚園、小中学校、高校に対する教育指導要領への導入も、大きなインパクトがありました。これにより、全ての児童・生徒が学校の教科書や試験でSDGsを学ぶことになりました。
公立の流れを受けて私立の学校でも同様に取り込まれ、受験問題にも出題されるようになりました。そのため、学習塾のカリキュラムにも取り込まれ始めました。日能研は2016年にいち早く子ども向けのSDGsの学習参考書をつくり、その質の高さと初動の早さに国連や政府の関係者の間でも話題になっていました。
大学でもSDGの導入は積極的に行われ、特に東京大学、京都大学、上智大学、関西学院大学等は国連との関係も深く、教育セクターにおけるSDGs実践の先導役を果たしていました。
UNESCOと文科省は持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)という新しいイニシアチブを掲げながらSDGsの実際の教育現場における実践を標榜していました。この具現化のために、UNDPは9つの大学と連携協定を結び、UNDPからは駐日代表や私自身も全国の数多くの小中学校、高校、大学等でSDGsに関する講義や授業を行って回りました。
学生主体の動きも活発化しており、東京大学の学生らが主催するイベントや学園祭等にも度々登壇した他、模擬国連、アイセック・ジャパン、Table for Two等の14の学生団体とともに電通の支援も受けながら大規模なSDGsイベントを開催しました。
市民社会・NGO
市民社会・NGOのセクターでも多様なアクターが一斉に動き出していました。特にSDGs市民社会ネットワークが、政治家、メディア、民間企業、NGO等の幅広いアクターを巻き込んだイベントを開催するなどプラットフォームとして活動していたのが目立っていたように思います。
日本青年会議所も動き出しは早かったのですが、幹部が一年で全員交代してしまうという組織の特性もあり、広報活動以上の展開はまだ見えていませんでした。
NGOの取りまとめ団体であるJANICは、従来のグローバルイシューの担い手であったNGOと新しいイニシアチブであるSDGsとの橋渡しを政府や国連とともに行っていました。
ただ、SDGsはNGOが得意とする正義感や善意をベースとしたODA、CSR、寄付、チャリティのような活動とは必ずしも同じものではなく、そのあたりの整理や理解は十分ではありませんでした。
市民社会に限りませんが、全般的に初期のSDGs普及の大方針は、細かいことには目をつぶり、共通点に目を向けて広めていくことにありました。ある意味、悪名は無名に勝る、という戦略です。
例えば、現在日本で流行っているSDGsゲームやSDGsバッジの製造等は、ほとんどが国連本部としては規定違反にあたりますが、それらに関しても、現在に至るまで黙認されている状況にあります。
アクセルを全開にし、ブレーキをことごとく外していった結果、SDGsは瞬く間に日本全体に広がっていったと言えるかもしれません。
次なる展開
横展開に成功したSDGsの次の目標は、縦展開、すなわち、本質的に意味のあるSDGsへの取り組みを増やしていくことにありました。
具体的には、SDGsの解決策に対するリソースを最も多く持つ民間セクターに、本業ビジネスの中核ととなる収益活動の中でSDGsに貢献してもらうことです。
UNDPは、SDGsが始まるずっと以前から民間企業との連携による開発を行ってきた経験があり、ノウハウの蓄積や専門家を抱えていました。これらは国連広報センターやその他の国連機関にはなく、更なる付加価値を発揮していくことになりました。