カブールの空港に着くと、髭を生やしたアフガン人ドライバーと自動小銃を持ったボディーガードが迎えに来てくれました。

初めて乗り込んだ防弾車は仕込まれた鉄板と分厚い防弾ガラスのせいでドアがやたらと重く、あちこちに銃を持った警察や兵隊がいる殺伐とした雰囲気の街中を見て、だんだんと紛争国に来た実感がわいてきました。

そういえば、「この防弾車はドバイから輸入した最新式だから地雷を踏んでも大丈夫。でも、その場合20メートルくらいは転がるから中の人は助からない。」(だったら一思いにやってくれ!)という冗談だか本気だか分からないような安全対策ブリーフィングを日本で受けたことを思い出しました。

宿舎はパークパレスという高い塀と警備に囲まれた長屋で、JICAの職員の他に国際機関職員など、全部で100名くらい住んでいました。パークパレスはアフガンで3本の指に入る安全な宿舎だと家主は自慢していましたが、事務所の安全対策担当からは、アフガンでは最も警備が硬く安全だと言われているセレナ・ホテルが武装勢力の襲撃で破られたことから、「安全な宿舎はアフガン国内には存在しない」と言われました。

後日談ですが、私より後に来たスタッフが、その説明を受けて、所内会議で、「つまり、日本政府とJICAは私たちの命の保証をしないということなんですか!」と声を荒げて怒り出すという事件がありました。正直、私を含む多くのスタッフは「嫌なら来なきゃいいのに。」と思って溜息交じりにその様子を眺めていました。

今思えばJICAの安全対策措置の説明は実は穴だらけだったのですが、紛争地の暮らしは余計な想像をしてはいけません。深く考えず根拠のない安心感や好奇心を持つことが何と言っても肝心です。

そもそも、日本政府の公式見解として、「紛争地域」なので自衛隊が憲法の解釈上派遣できず、「JICA関係者なら文民だからOK」という訳の分からない解釈で派遣されているので、辻褄が合うはずなどありません。「自衛隊を派遣できない危険地域というのは、文民にとってはもっと危険なのでは?」、「普通は自衛隊に守られて文民が派遣されるのでは??(実際、各国はそうしていました)」と考え始めると余計に訳が分からなくなります。

しばらく暮らしてみて分かったのは、事件はほぼ毎日、自爆テロを含む襲撃も割としょっちゅう起きているということです。赴任していた2年間にも、カブールでも何度もありました。

幸い自分自身は命を落とすようなことにはなりませんでしたが、住んでいる宿舎が武装勢力の攻撃対象になって帰る場所がなくなったり、市街戦により一日中銃撃の音が鳴りやまない中で宿舎に閉じ込められたり、自爆テロのため車を降りて道路を走って逃げたり、といったことがありました。

米軍とタリバン軍がJICA事務所近くの大統領府前で衝突したときは、2階から戦闘の様子が見えました。米軍がヘリコプターと装甲車からマシンガンを撃ち、ロケットランチャーと手榴弾でタリバンが応戦していました。聞こえてくる衝撃音や炸裂音も交じり、ハリウッド映画のワンシーンを見ているようでした。衝撃波で窓が割れそうになったので、さすがに怖くなって地下に避難しました。

日本人で戦闘に巻き込まれて亡くなった方もいました。日本人を含む外国人が多く住むゲストハウスが襲われて50名以上が死傷する事件などもあり、日常的に犠牲者は数多く発生している状況でした。日本政府は大使館員やJICA職員が無事であることを国内向けにアピールしていましたが、実は無償資金協力の実行を担当していたJICS雇用の現地職員は数十名単位で何度も武装勢力に誘拐されており、国連経由で資金拠出しているアフガン政府直営のプロジェクトなどでは、相当な数の事件が起きていました。

緒方貞子理事長と当時の事務所の仲間たち

赴任したころに最初に困ったのは治安よりも暑さでした。直射日光が当たる部屋なのに、エアコンがありませんでした。昼間はカーテンを空ければ太陽に焦がされ、閉めれば蒸される、夜も暑くて眠れない状況でした。ちなみに、カブールは冬になるととても寒く、寒暖の差が激しいところでした。

また、電力供給が安定しないため、変圧器が頻繁にトラブルを起こしました。寝ている間にゴムが焼ける匂いで目を覚まし、変圧器が燃えているということがよくありました。実際、寝ている間の火事による一酸化炭素中毒でJICA事務所のスタッフが死亡するという事故がありました。

健康維持も大変でした。基本的に外出は一切認められないため、毎日、防弾車で宿舎・事務所・アフガン政府という決まった場所をぐるぐる回るだけの生活です。宿舎に戻っても何か楽しいことがあるわけでもないので残業は当たり前になり、休日もやることがないので事務所に行って仕事をしていることが多くありました。

昼間仕事で打ち合わせした人たちが、朝晩に食堂や宿舎の庭でまた会うのも普通です。プライベートが筒抜けなので、知りたくもないことを知り、知られたくないことを知られてしまいます。運動不足になりやすいだけでなく、ストレスも溜まっていく環境にありました。

国際機関などでは精神的におかしくなってしまう人も多く、数週間に一度、そうしたストレスの発散のためにドバイかインドで休暇をとれる制度がありました。JICAも同様の制度を採用していました。

(続く)