先日、社会課題分野でも実績のある米国の有名なデザインファームの幹部の方が日本に訪れた際の意見交換にて、「日本でのSDGsの盛り上がりはすごいね」と言われました。
あれちょっと待ってください?
SDGsのような社会価値を追求したビジネスというのは、欧米をはじめとした世界の方が日本よりも先行しているのではなかったでしたっけ???
日本のSDGsの盛り上がりについて、「すごい」という声を海外の方から聞くことは実は珍しくありません。うちの国なんて全然だよ、とも言われます。
そうした海外企業の反応を受けて、「日本はSDGs先進国なのでは?」、あるいは「SDGsは日本だけで盛り上がっているのでは!?」と思うときがあります。
この誤解は意外に多いので、実践講座とは趣が異なりますが、ここで少し解説しておきたいと思います。
SDGsに関して、海外と比較して日本が盛り上がっているように見えるのは、いくつかの特異な理由があります。
第一は、SDGsに取り組む海外企業と日本企業との違いは、単にSDGsという「言葉」を使っているかどうかの場合が多くあります。
欧州を中心に、世界の先進企業の中ではサステナビリティに本業を通じて取り組むことはずいぶん前から行われています。
例えばESG投資については、日本では年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が 2015年にPRI に署名し、2017年に実際に始めたところから盛り上がりました。
しかし、ESG投資自体は世界では10年前の2006年に始まっており、日本以外の主だった大規模な機関投資家はとっくにPRIに署名していました。これはその他の似た国際潮流である企業の社会的責任(CSR)、気候変動、循環型経済(Circular Economy)、共通価値創造(CSV)等についても同様です。
ビジネスセクターにおける社会課題潮流は、日本で話題になるずっと前に世界では盛り上がっているのです。
世界経済フォーラム年次総会のダボス会議で発表されるGlobal100を始めとして、社会価値に関する国際的な企業ランキングは多数ありますが、どれを見ても日本企業はマイナーな存在です。
日本ではSDGsのような社会課題解決に本業で取り組むことや、ESG投資の考え方自体が斬新であるため、多くの人が関心を持ちます。しかし、SDGsが言っていることをそれほど目新しく感じない国では、空気のように当たり前に受け取ります。わざわざSDGsという言葉を使う必要がないのです。
日本はSDGsという機運を使って、民間セクターにおけるサステナビリティ分野での遅れを取り戻そうとしている、といった方が現実に近いでしょう。
第二は、日本ではSDGsの中身よりも「ロゴ」の普及が先行している状況があります。
自社そのものや、製品・サービス、事業、CSR活動等とSDGsゴールのロゴの単純な紐づけをウェブサイトなどの広報・コミュニケーションツールで示すというやり方がSDGs導入策として一般化しているのは、実は日本を含む少数の国だけです。また、SDGsのバッジも日本で一番売れているのではないでしょうか。
海外の先進企業が目指す本質的なSDGsの取り組みは、経済価値と社会価値を両立させた経営と事業のあり方を実現するということにあります。日本ではまだそのレベルに達している企業が少ないため、とりあえず素早く簡単にキャッチアップするためにロゴを活用するケースが多いのが実情と思います。
SDGsへの取り組みとしてロゴが前面に出るため、傍から見るとあのカラフルで派手なロゴをあちこちで見ることができ、海外から来ると盛り上がっているように見えるわけです。それ自体は悪いことではありませんし、お祭り好きの日本の国民性にも合っているような気がいます。視覚的に入るというのも広報手段としては効果的です。
ただし、それと本質的な取り組みが進んでいるのかどうかというのは、全く別の話です。
第三は、SDGsと日本の民間セクターはもともと相性が良いことがあります。
製品・サービスや事業などへのSDGsラベル貼りが流行る理由の一つには、以前からSDGsと結びつく活動を行っていた企業が多いことがあります。既存の製品・サービスや事業にSDGsラベルを貼る対象がなければ、今から新たに創り出さない限り、ラベルを貼ることもできません。
ただし、経営や事業に取り込むことなくSDGsラベルを貼って自己満足したり、自社を良く見せるために大げさにラベルを貼って宣伝したりという、いわゆる「SDGsウォッシュ」の事例も散見されるため、この日本の特異性に関する評価は難しいところです。
近江商人の売り手良し、買い手良し、世間良しという「三方よし」という伝統的価値観、日本における資本主義の原型を創り上げた渋沢栄一氏による道徳と経営の合一を唱えた「論語と算盤」の精神、松下幸之助氏の社会貢献を目指す企業経営理念など、現代のビジネスマンに受け継がれてきた日本的経営の理念とSDGsとは、根底において非常に強い結びつきがあります。
そのため、社会価値創出を目指すビジネス潮流が世界で主流化する以前から、実は日本の民間セクターではその取り組みを行っていたという面が多くあります。
ということは、日本企業は以前から本業を通してSDGsに取り組んでいたということでしょうか?
だとすると、第一に挙げた「日本はこの分野で世界に遅れをとっている」という話とは矛盾しないか、と思われるかもしれません。
実はここがこの話で一番ややこしい点であり、日本企業の多くの人々の誤解を招いているポイントといえます。
国際的に言われているSDGsとビジネスの関係に関する論調というのは、企業がSDGsなどの社会価値創出に取り組むことにより、経済価値の創出も同時に行うことができ、したがって最終的に企業の成長に繋がるという、経営と事業の戦略論が主軸にあります。
その先には、各企業がその戦略を導入することにより、企業による市場競争と社会の成長がトレードオフにならない資本主義、株主重視型コーポレートガバナンス、CSRなどの新しい形(あるいは完成型)を目指しています。
一方で、日本の民間セクターで大事にされてきたのは、企業とは社会の公器であり、社会を良くするために存在しているといった、ある種の精神論や文化論です。欧米に比べるとやや社会主義的な気質のある日本独特のビジネス価値観と言っても良いかもしれません。
この両者は、似て非なるものです。
日本には長年かけて育んできた社会価値創出指向のビジネス文化があり、先行する取り組みも既に多数有しているというのは強みであり、また、今後の社会課題領域での日本企業の大きな飛躍の可能性を示しています。
一方で、現状では、国際的なSDGsとビジネスに関する議論の中で、日本の主張や事例というのは「ズレている」場合がほとんどです。特に、SDGsの本質的な活用法である経営と事業の戦略に導入し、実践し、その結果社会価値と経済価値を最大化し、自社を成長させるということについては、海外と比較すると国内で本質的に理解している企業は極めて少ないと言わざるを得ません。
そのため、潜在的に優れた取り組みがあったとしても、グローバルな場でほとんど先進事例として出てきません。国際的な議論の場でズレており、存在感が薄ければ、次のグローバル市場のルールにも影響するSDGsとビジネスセクターとの関係に関するデファクト・スタンダード形成にはあまり関与できません。結果として、将来の国際的なヒト・モノ・カネの流れを押さえることも困難になります。SDGsとビジネスの分野における今の日本の立ち位置は、冷静に見てそのような状態です。
こうした事情により、「多くの日本の企業のSDGsへの取り組みがまだ初期段階にあるにも関わらず、海外から見ると日本のSDGsは盛り上がっているように見える」というのは、日本独特の不思議な状況といえます。
SDGsの取り組みについて、海外の人に「すごいね」と言われても、勘違いすることも奢ることもなく、自社の大きな社会価値創出のポテンシャルを経営と事業を通して実現し、かつそれを国際的に発信していくことこそ、今の日本企業にとっての正しいSDGs実践の姿勢といえるのではないでしょうか。