パーソナリティ:弊社代表理事 青柳仁士 / フリーアナウンサー 魚住りえ

1.オープニング・トーク

(青柳)

本日はいつもと趣向を変えて、今まで国連や民間機関でSDGsの普及に携わってきた私の目から見たSDGsの歴史と今についてお話していきたいと思います。

2.サステナフォーカス

(魚住)

青柳さんはSDGsが開始された2016年に、国連開発計画駐日事務所の広報官として、日本の政府機関、民間企業、教育機関、メディア、市民社会などへの初期のSDGs普及の責任者を務められたんですよね。

(青柳)

そうですね。もっと言いますと2010年から2012年まで国連本部にいまして、SDGsの創世記から関わっていました。

(魚住)

そもそもSDGsが生まれるきっかけは何だったのでしょうか。

(青柳)

【今の世界が持続不可能である】という発想から始まっています。気候変動などの環境面はもちろんですが、経済面としては貧富の格差だったり、社会面では都市の過密化など、あらゆる方面で限界がきているなかで、なんとか持続可能にしようと様々な国際社会が取り組んでいました。その中でSDGsの前身となるMDGs(ミレニアム開発目標)が定められ、この目標の元実際に貧困を半減させることができました。SDGsではそれを引継ぎ、貧困だけではなく経済や環境の要素も取り入れた形で国や様々な団体が同じ方向を向いて行動できるように制定されました。

(魚住)

SDGsはどのようにして社会に浸透していったのでしょうか。

(青柳)

2015年に合意され、2016年からスタートしたのですが、その当時私は広報官をやっていたのですが、当時は日本政府の各方面の省庁が集まった推進会議では、今でこそSDGsウォッシュと言われてしまいそうなことを行っていたのですが、今はイノベーションや変革を踏まえた活動に変わってきています。

(魚住)

一番大きく変わったと感じることはどんなところでしょうか。

(青柳)

やはり企業の動きだと思います。企業にこのように浸透した一つのきっかけとして、2017年にGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)がESG投資を開始すると発表したことが大きいと思います。これは企業の非財務的な活動に対して評価を行い投資の判断をするというもので、世界で現在3,400兆円という市場規模になっています。これにより数多くの上場企業がそれに対応せざるを得ない状況になり、社会的な注目度が上がりました。

また日本には古くから「三方よし」といった考え方があり、企業の利益だけではなく社会の利益になるものを生み出すという考え方や人々のモラルに対する考え方が、SDGsの理念と親和性が高くマッチし、比較的早い段階で浸透していったことも考えられます。

(魚住)

2016年から比べると新型コロナウイルスの感染拡大など世界の状況が大きく変わっていますが、持続可能な社会への考え方にも変化があったのでしょうか。

(青柳)

考え方が変わったというよりも、SDGsの考え方が広まったというのを実感しています。コロナウイルスの感染拡大によって、社会課題がどのように私たちの生活や企業のビジネスのあり方を変えてしまうことを感じてるかと思います。コロナによって危機への「実感」が伴ったことが大きいと思います。

3.クロージング・トーク

(魚住)

SDGsができあがるまでの歴史や、日本政府がその普及にまい進していたこと、また様々な人の普及により良い方向にすすんでいるということを知りました。こういう機会をたまに設けて、リスナーの方と一緒に勉強できればと思っています。


注:本記事は放送内容の完全な書き起こしではなく、必要に応じて要約や加筆・修正を行っています。また、敬称は省略させていただいています。

「SDGsティーチャー」は、TOKYOFMで2021年10月まで放送されたラジオ番組です。
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