吉野:大学時代にバングラディシュとか他の国に行ってそういった貧困の状況を目の当たりにする人というのは多いと思うんですが、出雲さんの場合、それで人生をかけて健康や栄養に取り組まれるほど心を動かされたのはどうしてなんでしょう?

出雲:やっぱりすごい衝撃だったんですね。それまで僕はずーっと日本で、東京の多摩ニュータウンで育ったんですけど、何かそこで食べ物がないとか、着る服がないとか、住む家がないとか、そういうのは全く想像できなかった。

それでバングラディシュに行ったときに、日本や多摩ニュータウンはこんなに素敵なところだったって気づかされたのが一つ。もう一つすごく大きい体験をバングラディシュでしました。それはですね、バングラディシュから日本に帰るときにいろんな友達ができるじゃないですか。

その友達と最後に話したときに、「いいな、出雲は。これから日本に帰って、また気が向いたらいつでもまたバングラディシュに来れるじゃないか。でも僕たちは出雲のいる日本に行ってみたいけれども、この先一生行けないんだ」と言われたんです。それでお金がないならバイトしてお金を貯めて日本においでよって言ったんですよ。

そうしたら「いや、全然違う、僕たちはパスポートが作れないんだ」と。で「なんで?」って聞いたらパスポートには必ず生年月日が書いてありますよね。でもバングラディシュの田舎では何月何日に生まれたなんていう記録は残ってないんですよ。何月何日に生まれたっていう情報がないとバングラディシュ政府もパスポートの発行のしようがないじゃないですか。そういう本当に大変なところで暮らしている。

自分は日本からバングラディシュにいつでも行けるけれども、バングラディシュの友達はパスポートも持てないし、日本に来れない。もしそうなのであれば、僕は日本ですごく勉強頑張って、すごく健康になれる栄養素を持って帰ってきてその友達の次の世代や孫の世代には栄養素を届けたい。

それで学校ができて、生年月日も登録されて、パスポートを作ってみんなが自由に行き来できる社会、そういう地球にしたいって思ったんです。パスポートが欲しくても持てない人が同じ年齢の友達にいるんだっていうことをその時まで知らなかったのでショッキングでしたね。

吉野:その時に子どもや孫の世代までも見据えて、その社会を豊かにすることに貢献したいと感じられたと。

出雲:自分は日本に生まれてバングラディシュに行くというチャンスをもらったわけじゃないですか。それは家族や地域社会に支えてもらって、そういうチャンスを得たわけですから。そういうものを今度は自分が貢献したい。僕は1980年生まれなんですけれども、2000年にちょうど二十歳になったんですね。

2000年に二十歳になった以降の人たちがいわゆるミレニアル世代なんですけれども、僕らはもうこれ以上儲けるために人生やってても虚しいんですよ。そうじゃなくて何かその大きなもの、地球や社会課題を解決するために自分の力を使いたい、貢献したい。

本当にみんな素直にそう思ってるし、そう信じてるし、そう育ってきたので、バングラディシュや良い社会・良い地球を作るためにっていうのも最初からそれが当たり前だし、それが自然なんですよね。それは豊かな社会を作ってもらったっていうのが前提としてあるからなんですよ。

吉野:うーん、思わず唸ってしまいますね。それだけ感性豊かに感じられる力がすごいですね。

魚住:出雲さんの世代の方はまず社会の課題を解決するっていうぶれない軸がある方が多いと思うんですよ。ユーグレナさんはその最たる企業だなという風に感じています。

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